(画像元:http://www.npwo.or.jp/interview/2007/post_5.html)
昨日心に響く記事を読みました。NHKの子ども番組「できるかな」(1970年~1990年放送)に出演していた高見のっぽさん(81)の記事です。「のっぽさん」を知っているか否かで年代がバレるところでしょうか(笑)
チューリップハットがトレードマークののっぽさんが終始笑顔で作る工作の数々にいつも心躍らされ「私も作ってみよう!」と思わせてくれる番組でした。
そののっぽさんが取材の中でご自身の幼少期を振り返っていました。
のっぽさん取材記事はこちら↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151208-00000036-asahi-soci
◆ダメ出しの多いお母さん
のっぽさんが4才の頃、竹ひごを使って模型飛行機を作ろうと繰り返し頑張ったもののうまくできず、失敗した竹ひごが山積みになった時です。お母さんは
「あんたみたいなぶきっちょな人は見たことないわ」と笑ったのです。
「この一言で手先の器用さに対する希望を全て失ったんです」お母さんは軽い気持ちで発したであろう言葉が、4才ののっぽさんの純粋な心に刺さり「自分はそういう人間なんだ」と決めつけてしまったのです。
幼少期の親の発言は子どもにとって100%正答なのでしょう。なぜなら毎日一緒に生活し自分を最も見てくれている親、そして最も信頼する大人の言葉だからです。
◆子どもの明るい未来を疑わなかったお父さん
それに対してお父さんは
「たまたま運の悪い所にいるだけで、この子がダメなわけではない」
といつものっぽさんの素質を信じてくれていたのです。「おやじのそばにいると安心でしたよ」とのっぽさんは言います。実はのっぽさんの父は芸人・俳優の経歴を持った方。チャップリンのモノマネが得意で「マキノのチャップリン」と呼ばれていた事もあるとか。芸事の道で夢を持っていたお父さんの言葉は自身を励ますための言葉でもあったのでしょう。のっぽさんがダンサーに憧れてタップダンスを習ったのもこんなお父さんの影響があったのかもしれません。
◆一生懸命な姿勢が観る人に伝わる
そして父親のカバン持ちから始めたのっぽさん。TV業界に入ったものの仕事がいつまで続くのか日々不安に駆られながら過ごす中、「できるかな」の出演依頼が来たのです。母に不器用とレッテルを貼られたのっぽさんに舞い込んだ仕事は、1人でセリフ無しで工作を作る番組です。やっといただいた仕事とはいえ内容に強い苦手意識はあったものの、のっぽさんは断らずに一生懸命取り組んだのです。苦手ながらも必死に作るからこそ工作が完成した時は心底喜べたのでしょう。その無邪気な表情に子ども達は惹きつけられたのです。苦手な絵が描けたのも「大好きな音楽に乗ったから」。全てが苦手へのチャレンジだったのです。
◆失敗を恐れず大きく跳び、人のやさしさに触れて!
そして70才を過ぎてからNHKみんなのうた「グラスホッパー物語」で作詞・歌・語りに挑戦しています。おじいさんバッタが恐れずに人間界まで飛んで行ったこの歌は、子どもに留まらず年長者にも「後に残る人のために何かしよう」というメッセージが届いて反響を呼び、続編にまで発展したのです。
「チャレンジばかりが取り上げられるけれど、新しい世界に飛べば人の優しさにも触れられ、かけがえのない思いもいっぱいできるんだよと伝えたかった」と言います。
◆子どもは「賢く鋭い小さい人」である
のっぽさんは子どもを「小さい人」と呼んでいます。前述の通り4才の時お母さんに言われた言葉を覚えているのっぽさん。幼少の頃大人が取る子どもを侮った言葉や態度は全て見透かしていたと言います。
だから子どもと接する時は大人と同じように真剣に向き合うのです。
「子どもに命令ではなく相談してごらんなさい。小さい人はとんでもなく賢いですよ」
この言葉は親である私の心にもズシンと響きました。
わが子を侮る事なかれ!そしてわが子の夢を摘むような言動は決してしないようにとあらためて心しました。
親は日々「わが子のキラリと光る強み探し」をしていかないとですね!