広島カープで活躍され「鉄人」の名で知られていた衣笠祥雄さんが、71歳で他界されました。早すぎるお別れに多くの選手達から追悼の言葉が贈られていました。
衣笠選手といえば、常に全力でバットをフルスイングされている印象があります。今で言えば、ソフトバンクの柳田悠岐選手のようなスイングです。そしていつも笑顔でプレーしているイメージが強く残っているため、子どもの頃から巨人ファンの私でさえ、衣笠選手は好きな選手の一人でした。
衣笠選手をi-color(統計心理分析によるタイプ分類)で見てみると、ポジティブで負けず嫌い、そして一生現役を望む少年の心を持ったコーラル(独立タイプ)と、仲間を大切にする平和主義のバイオレット(共感タイプ)の2つをち合わせた選手でした。
盟友江夏豊さんは衣笠さんのことを
「あいつはブキッチョな男だから。あのスイングを見たらわかると思うけど常にフルスイング。
野球に対してフルスイング。骨折していても3つ振って帰って来る男だから。あの姿がアイツの野球人生を物語っているよね」
と話されていました。
衣笠選手自身が残された言葉では
★自分でできることを自分なりに一生懸命やってきた、ただそれだけですよ
★野球が大好きでした。こんな好きなことを一日たりとも休めますか?
★ひとつハードルを飛び越えられれば、必ずひとつ力がつく。
それが自信になって、次にはもう一段高いハードルを越えられる
★運というのは、つかむべく努力している人のところへ訪れてくる
(引用:地球の名言)
広島ベンチは延長に備えブルペンに投手を準備させました。これを見た江夏投手は「何でオレの後に投手を準備するんだ!」と冷静さを失ったのです。この時マウンドに歩み寄ったのが一塁を守っていた衣笠選手でした。「お前がやめるならオレもやめてやる」
そう声をかけられ、江夏投手は感激と共に冷静さを取り戻せたと言います。チームからの信用を失ったと感情的になりそうなこの場面で、江夏投手の表情から気持ちを察知し、彼を心から信頼していることを伝える声かけをした衣笠選手。
落ち着きを取り戻した江夏投手は、次の代打から三振を奪った後、打者石渡のスクイズを外す見事な投球を見せ、3塁走者がタッチアウト。2死2、3塁となって、最後は石渡を空振り三振に抑えたのです。
絶体絶命のピンチをしのいで広島に初の日本一をもたらした『球史に残る21球の力投』には、衣笠選手と江夏投手のこんなエピソードがあったのです。(参考: 山際淳司著「江夏の21球」)
だけど人と力を合わせると、不思議なことに不可能も可能に、夢も現実になっていく
だから、出会う人を大切にするんだよ
この信条を、あの江夏投手との日本シリーズ戦でも見せてくれたのでしょう。生粋の独立タイプ選手の場合、他人には関心を寄せず単独プレーに偏りがちなのですが、衣笠選手のもうひとつの顔であるバイオレット(共感タイプ)の面が、チームメイトやチームワークを大切にする姿勢を持たせ、更にあの笑顔をもたらしていたのでしょう。
連続試合出場記録を更新していた衣笠選手の肩にボールが当たったため、広島ベンチからは選手達が飛び出し、キャッチャー前で両チームが乱闘騒ぎに。そんな中、西本投手は衣笠選手の元に走って行き「すいません」を繰り返すばかり。その時、衣笠選手は
と、こんな時も相手選手を気遣ってくれたのです。
その後、西本投手は動揺が拭えないまま、8-8の同点引分けで試合終了。宿舎に帰って、衣笠さんの自宅に謝罪の電話をかけると
と逆に西本投手を叱咤激励する言葉をかけてくれたのです。「なんて人格者なんだ」と西本投手は感動したと言います。
そして翌日、骨折していたにもかかわらず代打出場して、フルスイングで三振。それを見た西本投手は「あれほど驚き、感動し、感謝した三振はありません」と語っていました。その試合後、衣笠選手は三振について聞かれ「1球目はファンのために、2球目は自分のために、
3球目は西本くんのためにスイングしました」
とコメントしたのです。西本投手は「この言葉を一生忘れません」と言って深く感謝していました。