鍵山優真選手が、フィギュアスケート世界選手権で国際大会初出場ながらネイサン・チェン選手に次ぐ高成績で見事銀メダルを獲得しました。
お父さんの正和さんは、1992年アルベールビル冬季五輪、1994年リレハンメル冬季五輪に日本代表として出場したフィギュアスケート選手で、プロ転向後2005年から指導者になっています。体操の内村航平選手と同じように、優真選手も幼少期からスケート場で父親の演技を見て育ち、5歳からフィギュアスケートを始めています。思春期の親子のぶつかりもなく、父の指導のもと順調に演技を磨いているようです。
◆父親の入院
2018年正和さんは脳出血で倒れ入院。初めてコーチ不在での練習を余儀なくされた優真選手でしたが、この経験が彼を更に成長させたようです。練習中に直接アドバイスがもらえないため、父の教えを思い出しながら自分で考え改善して滑る練習を繰り返し、練習動画を父に送ってアドバイスをメッセージで受け取る形で指導を仰いだと言います。
◆父同行での国際大会出場
そして今シーズンから正和さんが指導に復帰し、今回の国際大会ではスウェーデンに同行してもらえたのです。初の国際大会でもしお父さんが同行できていなかったら、試合結果は変わっていたかもしれません。幼少期から練習を見守ってきた父親がそばにいる安心感、そして「病気明けの父を励まし元気づけたい!」という強い思いが、自己ベストを20点も上回る、会心の演技に繋がったと言っても過言ではないでしょう。
◆試合に向かう姿勢が変わったバドミントン桃田賢斗選手
バドミントンでは桃田賢斗選手が、昨年1月の交通事故による右目負傷から1年2ケ月ぶりに国際大会(バドミントン全英オープン)に出場しました。試合勘不足もあり、残念ながら準々決勝で敗れましたが、桃田選手の表情に曇りはありませんでした。
彼は右目負傷後のリハビリ期間に、自身が通っていた福島県富岡町の高校で自主トレを行い、高校生と共に練習をしていました。彼は自主トレ後のインタビューで
「子供や次の世代の選手のために、自分がもっとバドミントン界を盛り上げていかないといけないという気持ちが強くなった」
「自分が活躍する事によって出身校が世界に知れ渡れば、必然的に富岡町や福島県のことが知られるようになる。だからこそ自分も結果を出し、スポーツの力でみんなの頑張りをサポートしたい」
「元気や感動を与えられるような試合をして金メダルを取りたい」
と話していました。
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鍵山選手には支えたい父親、桃田選手には未来に活躍する子ども達、福島県やバドミントン界を盛り上げたいという強い思いがあります。アスリートが自分の演技やプレーで誰かに笑顔や元気を届けたいと本気で思った時、1人で頑張っていた時とは違うパワーが沸き上がるのだと感じます。
桃田選手は東京五輪、鍵山選手は北京冬季五輪の出場を目指しています。人を支えたい気持ちを強く持ったこの2人なら、きっと今までに見た事がないようなプレーや演技で世界中の人々を魅了してくれる事でしょう!そんな『スポーツの底力』を目の当たりにする日を心待ちにしています!!